​合気道とは

​  合気道は明治初期に会津藩の秘密の流儀であった大東流合気柔術を学んだ植芝盛平翁によって創始されました。大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行し、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始しました。合気道はもとより陸軍・海軍、警察など中心に教えられていましたが、時代と共に一般社会に広く認知されるようになっていきました。多くの武勇伝が存在し、身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど、幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の名人」といわれています。植芝​開祖の合気道は日本国内だけでなく世界的に大きく広まり、国際的武道として現在も広がりつつあります。
​ 塩田剛三先生は植芝盛平翁の戦前の弟子として合気道を学ばれ、当時最高位九段をもらっています。戦時中は軍属として東南アジアに赴かれ、戦後は合気道の復興に尽力されました。長寿会によって開かれた武道大会で養神館が優勝、日本鋼管での指導をはじめとして、政界・経済界からの後押しもあり養神館は世界へ広がっていきました。塩田剛三先生は植芝翁の合気道を型として整理し、その過程で合気道の上達に欠かせない呼吸力に必要な”中心力”を提唱されました。塩田剛三先生の技はキレ、スピードが鋭くその演武は多くの人々を惹きつけ合気道を世に知らしめました。塩田剛三先生の合気道は多くの人々に称えられ、昭和の達人として世に認知されていきました。現在も養神館合気道は塩田剛三先生の意思を継がれる門人が次の世代に合気道を伝えられています。
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​ 公益財団法人合気道養神会所属 

​養神館合気道光龍館